Where The Spirit Of The Lord Is



題名の聖書箇所です。 
2 Corinthians 3:17
Now the Lord is that Spirit: and where the Spirit of the Lord is, there is liberty.

2コリント3:17(リビングバイブル)
主は、いのちを与えてくださる御霊です。 御霊のおられるところには自由があります。〔それは、神のおきてを守って救われようとすることからの解放です。〕 

人は善い行いによって救われません。
ただイエス様を信じる心によって救われます。
神様は 神様のおきてを守れない事を罪とはおっしゃいません。
ただイエスキリストを信じる事によって 罪から解放されると仰っています。

聖書の神様は人を地獄に送りたい神様ではありません。
優しい優しい この世で一番優しい神様であり 
人はありのまま そのままで大切な存在だと言って下さっている神様です。

わたしは異端と呼ばれるキリスト教のクリスチャン家庭で育ちました。
そこにあったのは 神のおきてへの従順によっての救いで 
ユダヤ教のように メシアの到来がまだないような
これを守っていれば天国に行ける という教えでした。
 
人にはできないことを並べてある神様のおきてと 
守れるわけがなく罪を重ねて行く人間の姿が浮き彫りで
まさしく自由とは反対方向の 罪の重圧が常につきまとい 生きた心地もなく
常に「しなければならない」「やらなければならない」
「これをしなければ神様に滅ぼされてしまう」という狭い世界に押込められる生活でした。

だから むち打ってでも 掴み掛かってでも
子どもたちを この律法通りの正しい道へ留まらせなければならない教えでした。
恐怖がつきまとい 生きていく事の目的も知らず自殺をし続ける自分がいました。
これは紛れもなく聖書に書かれていない罪の世界です。

その聖書に真っ向から対立する所にいたにもかかわらず イエスキリストは
わたしに近づいて救い出して下さいました。

聖書には 人の罪は 全てイエスキリストが背負って処罰され 死に引き渡され
なおかつ 人間の死を打ち破りよみがえって下さる事により
購い出された(redeemed)と書かれています。
私たちはイエスキリストを信じる事により もう罪には縛られないのです。
おきてに従うのではなく 愛が故にご自身についてきなさいと仰るのです。
そのかわり 従いやすいようにガイドとなる御霊をあげるから 
その霊に従って生きなさいと できなくてもOK。
でも頑張ったらもっと祝福をしてあげるから、と
罰はなく ことごとく祝福を積み重ねて下さる愛でしかない世界です。

どんなに悪い事をしても イエスキリストのもとに持って行くと
「大丈夫 それももう許されたから 御霊に従っていきてごらん」と
何度でも何度でもやり直しさせて下さり そこに霊を注ぎ 
乗り越える力さえも備えて下さるのです。
人生にパワフルに関与してきます。
この聖なる霊によって生きる時 何とも言えない優しい愛に包まれます
そして書かれたのがこの曲だと思います。


この霊をうけてこの曲を歌って頂きたいと切に願います。
この曲の大意は完了です。

私たちの口は汚れていますが イエスキリストを主と受け入れ信じる人は
この聖霊を受け そう新しい霊を受けて 霊の歌が口から出てきます。
汚れた場所だった私たちの口を 新しい心から出る霊の歌う場所として用いて下さいます。
ハレルヤ!


わたしの握りしめている聖書個所をひとつ


イザヤ書 61:1−3
1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

2 主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、

3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。


また個人的な話で 歌詞の説明をします。 
本当に 灰をかぶって悲しんでいたようなわたしを
神様は綺麗に洗って下さっただけでなく 綺麗な花飾りを着けて慰め
伏していたのを立たせて下さいました。
悲しみの心のまま放置されず 本当に傷を癒すため洗い油を注いで下さいました。
憂いの場所であった心の傷を覆って もう痛みがないほどにまでして下さいました 
それだけでなく新しく美しい外套を着せ この心と口から賛美を溢れさせて下さいました。
神様の霊をうけとった日 妙なる救いにあずかった日から わたしは自由です。

ルカ10:30−37
イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

このようにして頂きましたから 今度はわたしが このはたらきをするために
その一環として このブログを立ち上げました。わたしのミニストリーは限りなく垣根がありませんが 根差す所はこの思いです。
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